航空会社は、予約から搭乗、到着後まで、顧客と多くの接点を持つ業態です。その一つひとつの体験の質が、企業への信頼に直結します。ANA(全日本空輸)は、このCX(顧客体験)に組織的に投資し、外部機関の評価で上位にランクインしてきた企業の一つです。
本記事では、ANAのCX戦略を支える仕組みと、その背景にある考え方を解説します。そのうえで、CX理論の観点からこの事例をどう読み解けるかを紹介します。
ANAのCX戦略の全体像
ANAは2019年にCX戦略を担う専門部署を新設し、全社的にCX向上へ取り組んでいます。
2019年4月、ANAはCX推進室のもとにCX戦略部を発足させました。特定の部門だけでなく、全社横断でCXに取り組む体制を整えたことになります。
ANAが掲げるブランド戦略には3つの要素があります。
- Caring:寄り添う心
- Sparkling:楽しさ・ワクワク感
- Japan Quality:日本が誇る基本品質
これらは抽象的な理念にとどまりません。後述するデータ基盤やジャーニー設計と結びついた実務に落とし込まれています。
CX戦略を支えるデータ基盤
ANAのCX戦略は、部門をまたいで顧客情報を統合するデータ基盤によって支えられています。
①CX基盤(2018年)
ANAは顧客情報や運航情報をリアルタイムに連携する「CX基盤」を構築しました。それまで部門ごとに分散していた情報を、全社横断で集約する仕組みです。これにより、たとえば予約担当者しか知らなかった顧客の事情を、空港の係員や機内の客室乗務員もリアルタイムで把握できるようになります。部門をまたいでも一貫した対応ができる状態は、後述する「欠航案内と旅行提案メールが重なる」ような食い違いを防ぐための土台になります。
②CXポータル(2021年)
CX基盤の情報をもとに、顧客ごとの引き継ぎ情報を一元管理できる係員端末「CXポータル」を開発しました。現場の係員が、部門をまたいで顧客の状況を把握しやすくなる仕組みです。搭乗前にトラブルがあった顧客や、特別な配慮が必要な顧客の情報が、別の係員に自動的に引き継がれるようになれば、顧客は同じ説明を何度も繰り返す必要がなくなります。
③ストリーミングエンジン(2020年)
ANAは「ストリーミングエンジン」という仕組みも構築しています。予約・決済・搭乗チェックインの行動データを、運航状況の変化とリンクさせる仕組みです。基盤にはAmazon Web Services(AWS、クラウドサービス)を採用しました。搭乗ゲートの変更に応じて、パーソナライズされたWeb接客を可能にします。
具体的には、搭乗ゲートが変更になった際、そのゲートから距離のある位置にいる顧客に対して個別に事前案内を送り、早めの移動を促す仕組みがあります。これにより、一部の顧客の移動遅れが原因で便全体の出発が遅れる事態を防ぎやすくなります。顧客にとっては「自分の状況に合わせた案内が届く」という体験になり、航空会社にとっては定時運航率の改善につながる、双方にメリットのある仕組みです。
カスタマージャーニー28シーンへの分解
ANAは、旅行前から搭乗後までの顧客接点を28のシーンに分解し、それぞれの質を個別に改善しています。
旅行前の情報収集、空港でのチェックイン、機内でのサービス、到着後のフォローまで、顧客との接点は連続的につながっています。ANAはこの一連の流れを、車輪のような形の図で28のシーンに分解し、シーンごとに独自のデータ収集・評価を行っています。
この分解が必要になった背景には、部門ごとに顧客対応がかみ合わなくなっていた実情があります。たとえば、悪天候による欠航のお知らせメールを送った直後に、営業部門が年末年始の旅行を提案するメールを送ってしまう。あるいは、ラウンジでは搭乗案内の放送を聞いたのに、搭乗ゲートに着くとまだ案内が始まっておらず待たされる。こうした「部門ごとには正しくても、顧客体験としてはかみ合わない」ケースが、28シーンへの分解を通じて可視化・改善の対象になりました。
体験全体を大まかに捉えるのではなく、個々の接点を分解して評価する発想です。どの接点で顧客の期待とズレが生じているかを特定しやすくなります。
CXランキングでの評価
ANAは、外部機関による評価でも継続的に高評価を得ています。
①顧客体験価値ランキングでの順位上昇
インターブランドジャパンは、ブランド価値評価を専門とするコンサルティング会社です。同社は「顧客体験価値(CX)ランキング」を毎年発表しています。ANAはこのランキングで、2021年の7位から2022年には3位まで、4つ順位を上げました。
②SKYTRAX5つ星評価の13年連続獲得
航空業界の格付け機関SKYTRAX社は、サービス品質を5段階で評価しています。ANAは2013年に最高評価の「5スター」を初めて獲得しました。2025年まで13年連続で獲得を続けています。世界で5スターを獲得しているのは11社のみです。日系エアラインでこの評価を持つのはANAだけです。
CX基盤・CXポータル・ストリーミングエンジンへの投資が、こうした外部評価につながったと考えられます。カスタマージャーニーの分解による地道な改善の積み重ねも同様です。新規顧客の獲得コストは、既存顧客の維持コストより高くつくと一般に言われます。搭乗のたびに良質な体験を積み重ねることが、再購入や紹介による長期的な収益につながります。
ANAの事例から学ぶCX理論との接続
ANAの「28シーンへの分解」は、CX理論における「真実の瞬間(MOT)」という考え方の実践例として読み解けます。
MOT(真実の瞬間)で解説した通り、顧客が企業と接するそれぞれの瞬間が、企業への評価を左右するという考え方があります。この理論の原点は、1980年代のスカンジナビア航空にあります。
ANAが顧客接点を28のシーンに分解した取り組みは、この考え方を現代的な形で実践したものだといえます。理論を知識として持つだけでなく、自社の接点を具体的に数えて分解する行動に落とし込んでいる点が学べるポイントです。
自社のCX改善を考える際も、顧客接点を漠然と捉えないことが大切です。購入前・利用中・利用後といった段階ごとに書き出してみることが、改善の出発点になります。
まとめ
ANAのCX戦略は、データ基盤への投資と顧客接点の分解という2つの取り組みに支えられています。CX理論の「真実の瞬間」を組織的に実践した事例といえます。
- ✓CX戦略部:2019年に発足し、全社横断でCXに取り組む体制を整えました
- ✓CX基盤・CXポータル:部門をまたいで顧客情報を統合し、現場で活用できる仕組みです
- ✓ストリーミングエンジン:運航状況の変化に応じたパーソナライズされた接客を実現します
- ✓カスタマージャーニー28シーン:顧客接点を分解し、個別に改善する発想です
- ✓外部評価にも表れる成果:CXランキングで2021年7位→2022年3位に上昇。SKYTRAX5つ星評価も2013年から13年連続で獲得しています
自社の顧客接点を、まずはいくつのシーンに分解できるか、書き出すところから始めてみるとよいでしょう。